クリさんのSeller Central

売って売って売りまくり! 酒田と三種の神器で売り屋になり田舎で豊かで上質な暮らしを目指すブログ

雙眼の相場師 - step to way of the Big Short..

 マイクが売りに動いたようだ。テスラ530億、まだ売り始めだろうか。

 

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小学生のころ、父親に新聞の株価一覧を見せられ、株式市場は歪みきった場所だから、決して信用してはいけないし、まして投資などするものではないと聞かされて以来、その仕組がバーリを魅了し続けてきた。子どものころでさえ、その数字の世界を、論理で制してみたいと思っていた。バーリは、株式市場に関する本を趣味として読み始めた。ほどなく、チャートにも、グラフにも、波動にも、株のプロを自称する多くの人間たちの長広告にも、論理などまったくないことがわかった。やがて、ドットコム・バブルの訪れとともに、突然、株式市場全体が支離滅裂な世界になった。バーリは言う。

「90年代後半の市況に押し切られる形で、私は自分を”バリュー投資家”と認定しました。自分に以外の全員の行動が、常軌を逸しているように思えたからです。」

大恐慌の時代に、金融市場へのアプローチの方法としてベンジャミン・グレアムが様式化した”バリュー投資”は、ひどく時代遅れな企業や不当に過小評価されている企業の株を精算価格より安値で仕込むために、開くことない探求の姿勢が求められる投資法だった。最も単純な形のバリュー投資は、とっくに定式化され、常套手段となっているが、その時点までにも、様々な応用形が編み出され、実践されてきていた。ベンジャミンのでしであり、最も有名なバリュー投資家でもあるウォーレン・バフェットの投資法も、その一つだ。

投資は一個の定石に煎じ詰めれ詰められるものではないし、ひとつのロールモデルから習得できるものでもない、というのがバーリの考えだった。バフェットについて学べば学ぶほど、その真似はできないという思いが強くなった。バフェットから得られた教訓は、目覚ましい成功を収めたければ、めざましい非凡さを身につけよというものだ。バーリは言う。

「偉大な投資家になろうと思ったら、自分の身の丈に合った流儀を持たなくてはなりません。ウォーレン・バフェットは、ベン・グレアムの良いところを全部学びながら、ベン・グレアムのまねをせず、自分の道へ足を踏み出し、自分のやり方で、自分のルールで、金を動かしました。その事に気づいた時に、私はすぐに、偉大な投資家になる方法を教えてくれる学校などないという真理を胸に刻みました。そんな学校があったら、世界一人気のある学校になって、とてもつもなく高い授業料を取ることでしょう。だから、そんな学校は存在しないんです。」

投資とは、自分ひとりの力で、自分にしかできないやり方で、学ぶべきものなのだ。バーリは運用するだけの資金を持っていなかったが、ハイスクール、大学、医学部時代を通じて、株式投資へのこだわりをずっと抱え続けてきた。スタンフォード病院の研修医の座に就くまで、金融学や会計学の授業を受けたことはなく、ましてウォール街の金融機関に務めたこともない。手持ちの現金は四万ドルほどで、学資ローンの借りが14万5千ドル。それまでの4年間は、働く医学生として過ごしていた。そういう状況にありながら、どうにか時間をひねり出して、独学で金融の専門知識を身につけてきた。

「時間は伸縮自在の連続体だ」ー1999年のある日曜の朝、バーリはEメール仲間の一人にそう書いている。

午後は飛ぶように過ぎることもあれば、5時間かけて過ぎることもある。きみも多分同じだろうが、ぼくは、たいていの人がむだにしている細切れの時間を生産的に使う。その生産性への渇望が、最初の結婚を犠牲にしてしまったのだろうし、数日前には、今の婚約者を犠牲にしそうになった。大学に入る前、軍隊で言われる「われわれは、一般人が一日かけてやるより多くのことを、午前9時までにやり終える」という言葉を聞いて、よく”おれは軍隊より更に多くのことをやり終える”と思ったものだ。選ばれた一部の人間は、ほかのすべてに優先するある種の活動の中に駆動力を見出すのだろう。

 

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日本の売り屋 マイケル・クーリも虎視眈々と狙っているwww 

相場師にとって「ほかのすべてに優先するある種の活動」は道具作りである。

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今日はこれから宮崎と鹿児島の県境にある温泉地、霧島温泉へドライブに行ってくる。

スゲー、楽しみ、また夜帰ったらご報告予定。