クリさんのSeller Central

売って売って売りまくり! 酒田と三種の神器で売り屋になり田舎で豊かで上質な暮らしを目指すブログ

週報:切断の哲学

中源線の状況:
 
日付  銘柄         法示  中源線の建玉
3/28 USD/JPY 陽転 0-3
5/9     DOW30   陽転   0-3 (6/18 増し玉)
6/19   TOPIX     陰転    3-0  (7/13 増し玉)
6/19    N225      陰転   3-0 (7/9 増し玉)
8/7     1615        陰転   3-0 (8/28 増し玉)

変化なし、認識としてはまだ保ち合い継続、9月どうなるか

練習売買の状況:

8/31   (9月限) 2-1  (12月限)

売り長にしてみたが、すぐに踏むかも(w

修行の状況・その他雑感:

自分自身からの逃走線のほとばしり。「その場にいるままで」も、身体がどこかに持っていかれる感じ ー 「わたしはいた、そしてわたしはいなかった」。この感じこそ、ポップに危ないドゥルーズガタリの感じであろう。この感じを彼らは、分裂症(的)であるとされる ー この診断が妥当かはともかく ー 作家、アントナン・アルトーの「器官なき身体 Corps sans Organes」(CsO)と略される」という表現に託している。器官なき=脱組織化された身体。CsOは、常識・良識的な身体イメージが避けていくはざまに出現するだろう。CsOは、日常においても実は「潜在的 virtuel」である。ひとまず、以上の文脈においては、ドゥルーズの「潜在性」という概念は、めちゃくちゃになることの「超越論性」を意味する。めちゃくちゃへの生成変化は、超越論的=潜在的に、日常のあちこちで働いている。他方、事物を固定できる経験のレベルは、「現働的 acutuel」と呼ばれる。潜在的/現働的 という対は、差異/同一性に、だいたい重なっている。
けれども、際限なくめちゃくちゃになれというわけではない。重要なのは、ドゥルーズガタリが「慎重さ」を求めていることである。健康化された分裂症という準 ー 安定状態に住まうには、身体がどこかに持っていかれる感じをサーフィンしながら、深すぎる狂気、さらに死との際において、それでも生き延びなければならない。快活としてスキゾ・キッズとして跳梁するためには、CsOを暴走させすぎないやりくりが、できなければならない。やりすぎてはいけないのである。

千のプラトー」では、次のように述べている。

非分節化すること、有機体であることをやめるとは、いったいどういうことか。それがどんなに単純で、毎日していることにすぎないかをどう言い表わせばよいだろう。慎重さ、処方量(ドーズ)のテクニックといったものが必要なのであり、オーバードーズは危ないのだ。ハンマーでめった打ちにするようなしかたではなくて、繊細にやすりをかけるようなしかたで進まなくてはならない。我々は、死の欲動とはまったく異なった自己破壊を発明するのである。

人波をかき分けて歩く、バーボンのグラスを、海を見る。毎日の背後で、あなたと世界は多方向へのほとばしりに避けている。が、私たちは、「オーバードーズ」を回避し、生き延びている。
オーバードーズの回避は、生成変化の次から次への展開のために必要である。

(中略)

生成変化は、接続過剰のどんづまりからの解放でなければならない。それは「節約 sobriete」(エコノマイズ)の勧めである。酒にもう一杯、あと一杯と溺れていき、どこで最後の一杯にするか。ドゥルーズガタリにおけるリゾームの概念と、単独でのドゥルーズにおける差異の概念は、このように、<生成変化を次に展開するための、接続の節約>という課題によって、橋渡しされているのである。

~ 動きすぎてはいけない 千葉雅也 から引用